30代サラリーマン都市伝説を語る

30代サラリーマンがいろいろ考えてみました。既婚、子育て中。好きな事は野球観戦、都市伝説など。もちろん信じるか信じないかはあなた次第です。

都市伝説シリーズ その15 「聖徳太子」は悪霊にならないよう贈られた名前?

 今回は「聖徳太子」に関する都市伝説です。

 

もちろん、信じるか信じないかはあなた次第です!

「それは面白いなぁ」程度に読んで頂けたら幸いです。

 

 

目次

 

 

聖徳太子とは

聖徳太子」のことを知らない日本人はいないと思います。

昔はお札になっていましたし、学校でも必ず教わる「飛鳥時代」の英雄です。

否、「日本が始まって以来の英雄」だと思います。

 

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しかし「聖徳太子」とい名前は後世になって贈られた名前のため

本名の「厩戸王厩戸皇子」と記載するべきだと

「教科書の記載」をめぐって論争になったことがあります。

 

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また聖徳太子の功績・伝説が凄すぎるため、

後世の捏造ではないか?(話盛ってるでしょ?)など

話題が絶えない人物になっています。

 

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聖徳太子のプロフィール

名前:聖徳太子厩戸王厩戸皇子

 

時代:西暦574年〜622年(〜49歳)

 

地位:飛鳥時代の皇族で政治家

   用明天皇の第2皇子

   推古天皇の摂政として、蘇我馬子と強調して政治を行う

 

功績:遣隋使の派遣

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功績:冠位十二階、十七条憲法を定める

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功績:皇族を中心とした中央集権国家の確立、

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功績:仏教を取り入れる

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伝説:一度に10人の話を聞けた

   未来予知能力があった

   

その他:当時の超大国「隋」のトップ「煬帝」へ

    「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」

    と書かれた書簡を送った。(喧嘩を売った?)

 

 

聖徳太子の最期は・・・

ところで聖徳太子の最期について、詳細はわかっておらず謎に包まれています。

日本書紀』には「622年、斑鳩宮で倒れ亡くなった」と記載されていますが、

詳細は書かれていません。

 

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後世から「聖」「徳」太子と言われるほど功績があり、

日本の礎を作った人物にしては、その最期の詳細が不明というのは

何か引っかかります。

 

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つまり

 

「詳しく書けない何かが起きていた」

「後世の権力者(藤原氏)にとって都合の悪いことがあった」

 

もしかすると

 

「悲惨な最期であったのではないか?」という都市伝説があります。

 

 

聖徳太子」それは悪霊にならないよう贈られた名前?

これはもちろん都市伝説ですので

信じるか信じないかはあなた次第です!」

 

「徳」の名前が意味すること

日本の歴史上、天皇や皇族で「無念の生涯、最期を迎えた」人物に対して

後世「徳」という名を贈ったそうです。

 

6人の「徳」がつく天皇は「無念の生涯、最期を迎えた」といわれています。

崇徳天皇が悪霊になったというのは有名です。

 

孝徳天皇称徳天皇文徳天皇崇徳天皇安徳天皇順徳天皇

 

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聖徳太子つまり厩戸王も「無念の生涯、最期を迎えた」ため、

悪霊にならないようにするため「徳」の名前が贈られたのではないか?

 

他にも「功績を称えること」で呪いを防ぐ例として菅原道真も有名です。

後世、聖徳太子として功績を称えたのは、こういった理由もあったのでしょうか。

 

 

当時は科学で謎を解き明かせる時代ではありません

当時「自然災害」や「不幸なこと」、「理由がわからない現象」等は

怨霊、祟りの仕業だと信じられていました。

 

人々は仏教や神道をはじめ、

それぞれ各地のアニミズム的な信仰に頼っていた時代です。

 

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現代を生きる我々にとって大体のことは「科学」で理解できます。

しかし、我々も困った時や理解できない事象が起きた時は

「科学的にどうなんだろう」や「科学が謎を解き明かしてくれる」などと

科学に頼っているはずです。

 

 

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このように、信仰でも科学でも「頼る」という意味では今も昔も同じです。

 

当時の人々は祟りが起きないよう、必死になって魂を鎮めたのだと思います。

その手段が「徳」の字を贈ることと

「功績」を称えることだったのではないでしょうか。

 

藤原氏が都合の良いように歴史を書き換えた説も可能性ありですが

ここでは諸説ありという事にしておきます)

 

 

法隆寺の「東院伽藍」に隠された秘密

さて、その後は政治的な争いに巻き込まれ

聖徳太子の「一族は滅んで」しまいます。

 

それを偲んで建てられたのが

法隆寺の「東院伽藍」とされています。

 

聖徳太子の仏像は長い間、

厳重に封印されていたそうです。

 

つまり法隆寺の「東院伽藍」は聖徳太子が怨霊にならないよう、

鎮めるために建立されたのではないか?

 

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作家の井沢元彦さんは以下のように述べています。

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”東院伽藍の中心に祀られている救世(くぜ)観音は、聖徳太子の等身像ともいわれていますが、そもそも「世の中を救う」観音なのに、フェノロサが無理やり開けさせる前までは布に包まれ、絶対封印を解いてはならないと伝えられていた。

 

これは「怨霊を封じ込めたもの」に対して人間が取る態度です。仏像の首の後ろに楔が打ち込まれていたのも、聖徳太子が怒って悪霊になるのを恐れたからだと考えると合点がいきます。”

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www.news-postseven.com

 

 

歴史的な背景を深く考える事

以上、調べていて非常に興味深い都市伝説でした。

 

聖徳太子は恐らく誇張されて後世に伝わっているのだと思われますが、

それでも古代、日本の礎を作った優秀で偉大な人物であったことには変わりません。

 

井沢元彦さんもおっしゃっているように

厩戸王」がなぜ「聖徳太子」と呼ばれ数々の伝説とともに後世に伝えられたのか?

その歴史的な「背景を深く考える」ことも歴史を学ぶ上で大切なことだと思いました。

 

厩戸王聖徳太子)でも良いので

聖徳太子」の名前は教科書(学校)でしっかりと教えるべきだと思います。

 

 

 

参考

ja.wikipedia.org

 

ja.wikipedia.org

 

www.news-postseven.com